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子や孫に見守られ祝う誕生日
目出たくもあり
90歳われ




福岡に戻ってきました。
祖母の家に祖母がいないことが不思議で、あちこち部屋を回りました。
それでもやっぱり祖母はいません。
不思議です。
生まれた時から、ずっとずっと見守ってくれていた人。



「短歌は、敦子が全部もらってくれるから安心。
歌は、あんた達には分からん。敦子にしか分からん。」

祖母が生前、母に何度も言っていたそうです。
母の兄弟もみんな「敦子だったら、歌にするだろう」
と祖母の短歌と祖父の書き残したものをすべて
私に託してくれることになりました。



祖母の家の仏壇には
昨年の私の誕生日に、歌を応援してくれてる方から頂いた
私の写真入りの‘敦子せんべい’が飾れていました。

もう賞味期限切れてるのにね。

実家の仏壇にも同じものが飾られていました。
もうそんなに長く帰省していなかったんですね。

そして、何も言われないけれど
私が歌を歌っていること、ご先祖様と一緒に応援してくれていたんですね。



祖父が病気になり、祖母もうちの両親も一緒に旅行をしたことがあります。
私が全部の計画を立てました。

「じいちゃんの好きな花は向日葵。あっこの好きな花も向日葵」
みんなで向日葵畑にも寄りたかったのですが
時期が少しずれていて、別の花公園に行きました。
祖母も花がとても好きな人です。

「サルスベリ」
いくつかメモがテーブルにありました。
サルスベリの歌を詠もうと思っていたのかな。

病気がよくなったら、また一緒に向日葵を見に行こう。
三人の約束は叶わなかったから
祖母の胸に向日葵の花束を持ってもらいました。

向日葵の花束を抱えて、祖母が祖父に会いに行く。
何だかそんなのって素敵だな〜なんて。



祖母からのプレゼントのような時間が流れた4日間でした。

忙しく動き回る母に、足止めがあり
1時間ほど二人きりで、ただ座っておく時間が持てました。
疲れ果てている母へ祖母からのプレゼントのような時間。

そしてその時にこんなことを言ってもらいました。
「お母さんは小さいあっこにいつも支えられていたんよ。
あっこがおらんかったら、お母さんどうなってたか分からんわあ。」

「あっこはお母さんの自慢の娘なんよ。人に自慢はせんけどね。
何か大きなことをする。この子は、人とは違うって思ってたんよ」

そうだったんだ…
私の最大のトラウマが解消した瞬間でした。
私が生まれなければ、母は幸せだったんじゃないか
そう思っていました。

そうか…私は生まれて良かったんだ。

苦しんでいたことをきっと気付いていた祖母から私への贈り物。


そして父とも手をにぎり合い。
ハグをしました。
初めてです。

「お父さんに抱きつきたいと思うこともあったけど
なかなかできんもんね」
そう言うと
「そんなお父さんじゃなかった。反省することがいっぱいある」

涙が止まらなくなりました。


あまり仲のいい姉妹ではないのですが
手をつなぎ、祖母の身体を見送りました。

そして母とお兄さんと弟さんの後ろ姿を見て
「兄弟っていいもんだね。」
「仲良くせんといけんね。」
また胸の真ん中が温かくなりました。



祖母の短歌仲間が祖母のことを
「家族を歌う歌人」と言ってくれたことがとても嬉しく
また最後に私の家族の愛をしっかり結んでくれました。


実際は、色んなことが山積みで大変なこともとても多いけれど
温かい帰省になりました。

いろんなことで…実家に帰る回数も増えそうです。

祖母のこと、家族のこと
私の決意、まだまだ書きたいことがたくさんあります。

またここに書いたり、ライブやうたこやの中でお話させてもらいますね。
祖母の短歌もまたここに書きます。

みなさんの温かいお心使いに感謝します。

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